蔵六園(ぞうろくえん)とは
隆盛な時代の「想い」を今に。
日本海を雄飛した北前船主の屋敷・日本庭園で時を忘れてみませんか?
英知を尽くし、命をかけて日本海の荒波に立ち向かった人々によってもたらされた、巨万の富により、 絢爛と花開いた北前文化を北前船主屋敷 蔵六園で体感になれます。
古美術品・ちょっとしたアンティーク・九谷焼きetcのショップも併設。お買い物も旅の楽しさ。歴史・文化・自然・古美術・を語りあうのも良いのでは。 山野草庭園も充実。日本庭園でお抹茶を、ティールームで珈琲等でゆっくりおくつろぎください。
北前船
江戸から明治にかけて活躍した買積み廻船(船主が荷物を買い取って商いをする船)のことです。
大阪から瀬戸内海を抜け北海道まで日本海を往復して、各寄港地で売買を繰り返すことにより莫大な利益をあげていました。
当時、橋立村は日本一の富豪村と言われていました。
蔵六園の由来
庭園にある、瀧石の自然石があまりにも亀に似ていることから、大聖寺藩14代藩主 前田利鬯(まえだとしか)公により蔵六園と命名されました。
蔵六とは亀の異名なり。仏典より出ず。「我欲を謹むをいう。祖底事苑に、雑阿合経に、亀あり、野干(きつね)に捕えられる。亀は六を蔵(かく)して出さず(六を蔵すとは 亀が頭尾手足の六を甲の中に引き入るをいう)。野干怒って捨て去る。仏(釈迦)諸の比丘に告げて曰く。汝等当(まさ)に亀の六を蔵するが如くすべし。 自ら六根(眼耳鼻舌身意の欲)を蔵せば、魔も便を得ず云々」(故事諺)。